ショパンの夜想曲第5番、嬰ヘ長調Op.15-2をアップしました | かやくりひblog

ショパンの夜想曲第5番、嬰ヘ長調Op.15-2をアップしました

かやくりひMIDIデータ館 にショパンの夜想曲第5番、嬰ヘ長調Op.15-2をアップしました。

三十数年前、小熊秀雄の「ヴォルガ河のために」を、この曲を流して朗読してみたことがあります。

実にびったり合っていました。

ショパンも私の大好きな作曲家の1人なのですが、これまではピアノ曲のデータ入力が苦手なためにショパンの曲入力は避けていました。

だいぶピアノを含む和音楽器のデータ入力も増えてきたので、この辺でショパンにも挑戦してみようと思い立ち、それならば真っ先にこの曲に挑戦しようと思ったのです。

小熊秀雄がこの詩を書いた1930年代、まさかソヴェート・ロシアが小熊の想像するような「正義の河」の国ではなかったなどとは思いもよらなかっただろうし、ソ連が崩壊して初めて明らかになったこどでもあり、同時の小熊秀雄を含めた日本のプロレタリア文学がソ連を労働者階級の理想の国家としたこと自体が間違っていたことにはならないでしょう。

参考に「ヴォルガ河のために」を掲載します。

ヴォルガ河のために      小熊秀雄


ヴォルガ河よ、わが友よ。

流れよ

私は君を見たこともなければ

また君の流れの響をきいたこともない

ただ君が悠々たる水のかたまりを

陸続として

どこからともなく下流にむかつて

押しだしてゐることを知つてゐる、

しかも君は我々の住む同じ星の下にあつてである、

星、瞬くものは数億であつて

君の流れの響もまた無限である、

ヴォルガよ、

春はこゝに一片の花を押し流して

岸辺、岸辺に、その花を寄せ、

また岸から引離して

水と花びらとは気の向いたまゝに

連れ立つて行くであらう、

そして君の水面をすべる船には

見るからに質朴で頑丈な船人が

じつと水面をいつまでも見ながら

あるときは君にさからひ、

あるときは君に柔順であるだらう、

もりあがるヴォルガの感情

それに答へ得たところの

こゝに平凡な様子をした男が

偉大な河に竿さして

降るのを私は想像する、


あゝ、ヴォルガ河よ、

君はかつて幾度か裂けたであらう、

君はきつと怒りとウメキのために

立ちあがつたであらう、

あの時銃は沈み

河底の泥に今でも深く突立つてゐる

ムセ返る火薬の匂ひは

君の流れの上に

かげらふのやうに漂つた

うなだれて逃げる百姓の群を追つて

肥えた馬にのつた騎兵の一隊は

ヴォルガの岸辺で百姓達を

ことごとく滅ぼしてしまつたであらう、

そのときヴォルガよ、

お前は、それらのことを目撃した、

お前は怒つた、

歴史を流す河として

さまざまの事実を正しく反映した、

いまヴォルガ河よ、

沈着な河として

私達の喜びをお前へ披露することができる、

岸に倒れた百姓は

ロシアの百姓であつて

また決してロシアの百姓ではなかつた、

世界の百姓として――、

ヴォルガ河を枕として永遠に眠つた。

すでにして月は

イルミネーションとして君を飾る

君の沿岸に咲く野花の

なんとことごとく君の為めの花輪であらう、

すべてを冷静に眺めてきたヴォルガよ、

沈着な河、ヴォルガよ、

君はいま歴史を貫く国を

貫ぬいてゐる、

正義の河と言へるだらう。