記憶の曖昧さについて | かやくりひblog

記憶の曖昧さについて

先日のパソコン要約筆記サークルで、卒業式に向けての情報保障の練習をしてみました。

ろう学校の校歌といっても曲を知らないし、ちょうどNHKの「SONGS」でさだまさしの「無縁坂」を放送していたので、それを使うとにしました。

うたまっぷ で検索したら載っていました。

でも、ここに載っているファイルはテキストファイルではなく、保存してもオフラインの状態では歌詞を表示してくれませんので、見ながら入力しなければなりません。

30年以上聞いていながら、入力してみて初めて気がついたのは「忍ぶ 不忍 無縁坂」のところ。

「しのぶ しのばない」という意味なのかと思っていたのが「忍ばず」ではなく「不忍」だったのです。

つまり東京の上野、不忍池のほとりにある無縁坂を忍ぶ、という意味で、「母」が登った坂は無縁坂ではなかったのです。

1981年だったか82年だったか、さだまさしがこの歌の解説をしている文を読んで、無縁坂というのが不忍池のほとりにあって、森鴎外が『雁』の舞台にしていることを知り、岩波文庫で『雁』を読んでみました。

今回、もう一度『雁』を読んでみたくなって、青空文庫 で拾い読みしてみました。

30年近く前にこの小説を読んで、最も印象に残ったのが本郷にある「藤村」という和菓子店で、これを読んでいる最中だったか読んだ直後だったかに、実際に藤村に行って羊羹を買ってきたこともあるのですが、『雁』に藤村の羊羹が出てきたものだとばかり思い込んでいました。

ところが、「藤村」で検索したら、2か所だけヒットして、どちらも「田舎饅頭」ではありませんか。1つの小説を読むにしても、これほどまでに記憶が曖昧なものかと思い知らされました。

それにしても、「無縁坂」を作った頃のさだまさしは23歳になる頃だったわけで、『雁』のお玉さんと「母」をさりげなくダブらせ、それでいながらこの歌を聞いている人の多くがぞんなことは想像さえしないだろうと、多分ほくそ笑んでいたのだろうな、と思うと、恐ろしい23歳だな、とつくづく感じてしまいました。

ところで、サークルで「無縁坂」を使って歌詞の色変えをする練習をしてみたのですが、どうしてもうまく変わらずに終わりました。