永井啓夫著『新版 三遊亭円朝』 | かやくりひblog

永井啓夫著『新版 三遊亭円朝』

永井啓夫(ながい ひろお) 著の評伝『新版 三遊亭円朝』を図書館から借りてきて、今読んでいます。


元号記述が基本のため、紹介される人物や現在の時間的位置の把握が難しいこと、また固有名詞をはじめ難読漢字にルビがなく、現在までの記憶でルビがあったのは円朝の本名、出淵次郎吉(いずぶち じろきち)と、75ページと147ページの橘ノ円(まどか)のみ。「まどか」は容易に想像できる読みなので、なぜこの人だけルビを振ったのか理解に苦しみます。


これでは、息子の朝太郎が「あさたろう」「ちょうたろう」「ともたろう」のいずれなのか、妻のお幸が「おゆき」「おさち」「おこう」のいずれなのかも判りません。

もっとも、朝太郎については新聞記事で「浅太郎」と誤って書かれたとの記述があるので、辛うじて「あさたろう」らしいと判りますが。

それに、多数ある引用文は白文まである漢文や文語文、候文が多いのに、概略の説明さえない。これで「新時代の芸能に対する私の遺言」(あとがき)になりうるのでしょうか?

さらに、橘ノ円が147ページでは橘の円になっているなど、誤りが多い。

誤りの1つに足立区南千住というのがあって、そこには円朝が正式にではなく最初に妻にした女性が後に嫁いだ相手の墓があると紹介されている円通寺があるとのこと。

多数の円朝と縁のあった人物の、お墓をはじめとする旧跡を紹介している点は。この本の評価に値する所です。

で、なぜか円通寺というのが気になったので電話番号をネット検索したところ、東京都荒川区南千住1丁目に円通寺が載っていて、「円通寺よしのぶ地蔵」とあります。

よしのぶ地蔵とは、あの吉展ちゃん事件の被害者をまつったお地蔵さんだろうかと気になったので電話で聞いてみました。

円朝の最初の妻、お里さんが嫁いだ幇間、松廻家露八(まつのや ろはち)は彰義隊員だったのが上野戦争の時に逃げ出し、確かに以前はそのお墓もあったが今は別の墓に移葬されているとのこと。円通寺には彰義隊の墓もあるのだそうです。

「よしのぶ地蔵」は、やはり「吉展ちゃん事件」の犠牲者をまつったお地蔵さまでした。

著者の名誉のために付け加えると、円通寺が、足立区はともかくとして南千住元通新町となっていて南千住1丁目ではないのは、この本の初版が出た1962年当時の町名だったからでしょう。

新版は1998年の出版だから、それなら注でも付けて「現在は南千住一丁目」とでもすればいいのに、とは思いますけどね。